村の歴史

年貢を減らすよう求めた農民一揆『ばんどり騒動』

明治2年(1869)、夏でも気温の低い日が続き、舟橋村では十分な米がとれなくなってしまいました。
しかし、村役人たちは自分たちの利益を増やすため、村の農民たちが食べる分の米まで年貢として奪っていったのです。
「このままでは食べるものがなくなり、飢え死にしてしまう」そう考えた農民たちは宮崎忠次郎という人をリーダーに、年貢を減らしてほしいという内容の手紙を村役人に出しました。
その返事がもらえるという日、農民たちはすげがさ・ばんどり・わらじという姿に竹やりや棒を持ち、夜が明ける前から舟橋村竹内にある無量寺に集まりました。
けれど、日が暮れるまで待っても返事がくる様子はありません。そこで農民たちは年貢を減らしてもらうようもう一度頼むため、ほら貝や太鼓を鳴らしながら寺を出発しました。
その後、たくさんの人が加わり5万人まで増えた農民たちは、滑川で村役人たちと出会い戦いになってしまいます。
結果、この騒ぎはしずめられましたが、忠次郎だけが責任をとって死刑となってしまいました。

『ばんどり騒動』の名前の由来

『ばんどり』とは、肩かけだけで背あてのない蓑のことです。天気の悪い日に外出をしたり農作業をするとき、肩が雨や露で濡れないようにするために使われました。『ばんどり騒動』の名前は、農民たちがこの『ばんどり』に身をつつんで一揆を起こしたことに由来しています。